ネネコ・皇后美智子

ネネコ・皇后美智子

2017-02-09    05'10''

主播: 日语主播

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介绍:
大家好,我是主播ネネコ。在开始今天的内容之前,我们先来了解一下背景吧。 明仁皇后美智子,现日本第125代天皇明仁的皇后,出生于东京。 按照日本皇室的传统,皇太子年满18岁就算是成人,应该考虑成亲了。因此,早在1951年明仁满18岁后,宫内厅就已开始选妃的非正式调查。1953年正式成立了有主要皇族成员参加的"皇太子选妃委员会",一时间,日本全国上下掀起了一股选妃热潮。正是在这种情况下,明仁结识了年轻貌美的美智子,并且对她一见钟情。今天分享的内容是元东宫侍卫滨尾实桑以第三者旁观的角度,还原传闻中的理想夫妇写的回忆录。 今天,我们的故事就从这里开始...... 皇后 美智子様・第一回  昭和32年8月――天皇陛下と皇后・美智子様が初めて出会われた日のことを、私は今も鮮やかに思い起こすことができる。  昭和9年10 月20日にお生まれの美智子様は、まだ22歳。陛下は23歳、青年皇族とお呼びするにふさわしい年齢でいらっしゃった。  おふたりが出会われた場所は、軽井沢会テニスコート。軽井沢駅から北に2㎞と少し、旧軽ロータリーの近くにあるテニスコートである。このコートのメンバーは、毎年夏、互いの親睦を深めるためのトーナメントを催していた。実力に応じてメンバーをA、B、C、Dの4クラスに分け、Aクラスの人とDクラスの人がペアを組み、BクラスとCクラスの人のペアと対戦する。  このトーナメントで、陛下と美智子様は、まったく偶然、対戦なさったのだ。  当時の美智子様は、こうも申し上げては失礼かもしれないが、ふっくらと丸顔、少し太っていらっしゃって、むしろ、「輝くばかりの健康美を持つ女性」という表現がふさわしかったように思う。  美智子様は、コートの端から端へ、実によく走られた。そして、陛下の打ち込まれた球を拾い、返してこられる。どんな球でもあまりに確実に返されるので、陛下もイライラされたのだろう、相手のコートに強く打ち込まれようとするのだが、全部ネットになってしまう。  お供をしていた私は、  「だめだなあ、いったい何をなさってるんだ」  観客席で、そんな声を上げていた。すると、その数列前にいたご婦人が、私を侍従と思ってだろうか、振り返って、  「申し訳ございません」  といった表情でお辞儀をされる。その時、私の隣で観戦していた当時の最高裁長官の田中先生、陛下の憲法のご進講係でもあった田中耕太郎先生が、  「陛下が対戦なさっている女性は、日清製粉の正田英三郎社長のお嬢さんで、美智子さん。お辞儀をなさったのは、お母さまだ」  そう私に教えてくださった。  対戦は、まずリードしていたセットを挽回されて逃し、次のセットは簡単に敗退という、陛下にとって情けない結果。汗を拭きながらコートを離れる陛下に、私が、  「あの女性は、正田美智子さん」  と、お教えしたのは言うまでもない。(つづく)