雪国连读Janey

雪国连读Janey

2017-06-28    03'16''

主播: 日语主播

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介绍:
「その口もきけなかったの。まだ踊は、動く方の左手で直せるけりど、三味線は耳がうるさくなるばっかり」 “说话也不清楚了。不过,舞蹈嘛,他还可以用尚能动的左手给你矫正,可三弦琴听起来令人心烦。” 「これで分かるのかね」 “你怎么知道的?” 「よく分かるわ」 “当然知道罗。” 「素人ならとにかく芸者が、遠い山のなかで、殊勝な稽古をしてるんだから、音譜屋さんも喜ぶだろう」 “良家女子倒不算什么,艺妓在这偏远的山沟里还能这样认真练习,乐谱店的老板知道了也会高兴的吧。” 「お酌は踊が主だし、それからも東京で稽古させてもらったのは、踊だったの。三味線はほんの少しうろ覚えですもの、忘れたらもう浚ってくれる人もなし、音譜が頼りですわ」 “陪酒时主要是跳舞,后来让我去东京学习,也是学的舞蹈。三弦琴只模模糊糊记得一点儿,忘了也没人给指点,就靠乐谱啦。” 「唄(うた)は?」 “歌谣呢?” 「いや、唄は。そう、踊の稽古の時に聞き馴れたのは、どうにかいいけれど、新しいのはラジオや、それからどこかで聞き覚えて、でもどうだか分からないわ。我流が入ってて、きっとおかしいでしょう。それに馴染みの人の前では、声が出ないの。知らない人だと、大きな声で歌えるけれど」と、少しはにかんでから、唄を待つ風に、さあと身構えして、島村の顔を見つめた。 “歌谣嘛,是在练舞时听熟的,算是勉强凑合吧。可是新歌大多是从广播里学来的,也不知行不行。其中还掺进了自己的唱法,一定很可笑吧。而且在熟人面前唱不出口哩。要不是熟人,还能放开嗓门唱唱。”她说着有点羞羞答答,摆好架势,好像在说“来吧”就等着对方点歌,直勾勾地盯住岛村的脸。 島村(しまむら)ははっと気押(きお)された。 岛村突然被她的气势压倒了。 彼は東京の下町育ちで、幼い時から歌舞伎や日本踊になじむうちに長唄の文句くらいは覚え、自ずと耳慣れているが、自分で習いはしなかった。長唄といえばすぐ踊の舞台が思い浮び、芸者の座敷を思い出さぬという風である。 他在东京闹市区长大,对歌舞伎和日本舞自幼耳濡目染,暗记了一些长歌的歌词,自然就听会了。他自己没有学过。提起长歌,立即联想到舞蹈的舞台,而不是艺妓的筵席。 「いやだわ。一番肩の張るお客さま」と、駒子はちらっと下唇を噛んだが、三味線を膝に構えると、それでもう別の人になるのか、素直に稽古本を開いて、 “真讨厌,你这个客人,真叫人不自然。”驹子轻轻地咬着下嘴唇,把三弦琴放在膝上,一本正经地打开练习谱,简直判若两人了。 「この秋(あき)、譜(ふ)で稽古(けいこ)したのね」 “这个秋天就是看着谱子练习的。” 勧進帳(かんじんちょう)であった。 这是《劝进帐》[日本歌舞伎传统剧目,三世并木五瓶作词,四世杵屋六三郎作曲]的曲子。 たちまち島村(しまむら)は頬(ほお)から鳥肌立(とりはだた)ちそうに涼しく(すずしく)なって、腹(はら)まで澄み通って(すみかよって)来た(きた)。たわいなく空にされた頭のなかいっぱいに、三味線の音が鳴り渡った。全く彼は驚いてしまったと言うよりも叩きのめされてしまったのである。敬虔の念に打たれた、悔恨の思いに洗われた。自分はただもう無力であって、駒子の力に思いのまま押し流されるのを快いと身を捨てて浮ぶよりしかたがなかった。 然间,岛村脸颊起了鸡皮疙瘩,一股冷意直透肺腑。在他那空空如也的脑子里充满了三弦琴的音响。与其说他是全然感到意外,不如说是完全被征服了。他被虔诚的心所打动,被悔恨的思绪所洗刷了。他感到自己已经没有力气,只好愉快地投身到驹子那艺术魅力的激流之中,任凭它漂浮、冲激。