蒼い時(3)
私の中の横須賀は海がすべてではない、山に囲まれた木造校舎や中学校の前にあった新井ベーカリーのあげソーセージや中央公園、猿島。いつもなにげなく歩いていた横須賀なのだ。あの町は私に優しかった。雨も、海からの潮風も、日差しも、緑も何もかもがさりげなく私を包んでいてくれた。
我心中的横须贺,海并不是它的全部。四面环山的木造校舍;中学前的新井面包店的炸肉肠;中央公园;猴岛。那就是我常常信步而行的横须贺。这座城市待我是亲切的。落雨和海风,阳光和绿荫,所有这一切都毫不吝啬地拥抱着我。
あの町で生まれ、三十年以上あの町を見て来た男に出会った。男は「あの町はきらいだ」と言った。「小さい時から、あの町から逃げ出したくて仕方がなかった」と言った。男は「あの町の女がきらいだ」と呟いた。ふといカ一ラを巻いた髪に派手なスカーフをかぶり、厚化粧で買い物かごをさげて、サンダルで歩いている女があまりに悲しくうつったと。まるであの町の象徴であるかのような人々の姿、毒々しい色のネオンサインや町の明かりが当時まだ少年だった男の胸に焼きついた。いまだに横須賀をすきになれない。帰りたくはないと男は話した。
我遇到过一个在这座城市出生并生活了三十多年的男子。他说“我讨厌那城市,小时候就很想逃离”。他嘟囔着“讨厌那里的女人”。卷着发卷的头上蒙着花哨头巾,脸上搽着厚厚的粉,提着购物篮,穿着凉鞋走在街上的女人,让人看着真遗憾。简直是这个城市的象征一样的人们的这种打扮和举止,花花绿绿的霓虹灯和路灯,深深烙在少年的心上。他说至今还是不喜欢横须贺,并不想回去。
ある日私のもとに手紙を添えて一冊の写真集が届けられた。「絶唱横須賀ストーリー」と題されたその写真はすべて私の知らない表情した横須賀だった。あの町にこれほどのあざとさが潜んでいたのだろうか。これほどのあわれさがにおっていたのだろうか。恐ろしいまでの暗さ、私があの町の中で光だと思っていたものまでもがすべて反転してしまった、坂道も草原もどぶいた横町も米軍に入り込まれたことによって仕方なく、変わらざるえなかったあの町の独特な雰囲気がその写真の中では影となってあらわされていた。悲しかった。恐怖さえであった。
有一天,有人给我送了本影集,附着一封信。这个题为《绝唱,横须贺故事》的照片集展现的都是我从未了解的横须贺。在这座城市里,可曾如此藏污纳垢,这般哀伤忧愁?阴暗到令人恐怖,就连我曾认为是这城市最光明的东西,也都完全颠覆过来。坡道、草原、脏水沟的小巷,由于美军的进驻不得不改变了模样。城市的独特气氛在那些照片上作为阴暗面被呈现,给人一种悲哀乃至恐怖的感觉。
おなじ町が見る側の意識一つでこんなにも違う。私の知っている横須賀は、これほどまでに凄まじくはなかった。いまにも、血を吐き出しそうな写真に向かって、私は呟いた。この町のこんな表情を知らずに育ってこられたことに、わずかな安心感をいだいていた。私はいまあの町へ帰りたい。いまでなくても、いつかあの町で過ごしたい。なにより、あの町で暮らしていた六年間の私が一番すきだった、自由だった。正直だった。無理に突っ張ろうともせず、突っ張りもしなかった。必要がなかったのかも知れない。それなのに、いまの私は何かにつけて突っ張ろうとする。突っ張ろうとすればあまり容易に突っ張ってしまえる私がいまは存在している。自分の意識の中での私自身はあの町にいる。あの坂道をかけ、海を見つめ、あの街角を歩いている。
私の原点はあの町――横須賀。
同是那座城市,只是因为主体的不同而有如此大的差异。我所了解的横须贺,并非恐怖至此。今天我面对这些令人伤感的照片,悄声自语着。我在不知这座城市还有如此模样的情形下长大,倒让我稍稍安心些。现在我想回到那种城市去,即便不是当下,我也希望什么时候再去那里生活。因为在那里的六年是我最喜欢的,那是自由的生活,也是真诚的。我不刻意强求,也没有强求,大概因为没必要吧。但现在的我动辄就去争,只要去争就很容易争到底的我,即现在的我。
潜意识仍觉得自己就在那座城市里。在那坡路上跑着,凝视着大海,走在那街头巷尾。
我的起点是它——横须贺。