「私は淋(さび)しい人間です」と先生がいった。「だからあなたの来て下さる事を喜んでいます。だからなぜそうたびたび来るのかといって聞いたのです」
「そりゃまたなぜです」
私がこう聞き返した時、先生は何とも答えなかった。ただ私の顔を見て「あなたは幾歳(いくつ)ですか」といった。
“我是个孤独的人,”先生说,“所以欢迎你来看我,才问你为什么这样勤快。”
“这又为了什么?”
我这样反问时,先生没有回答,他只是望着我的脸,说道:“你多大了?”
この問答は私にとってすこぶる不得要領(ふとくようりょう)のものであったが、私はその時底(そこ)まで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日と経(た)たないうちにまた先生を訪問した。先生は座敷へ出るや否(いな)や笑い出した。
「また来ましたね」といった。
「ええ来ました」といって自分も笑った。
私は外(ほか)の人からこういわれたらきっと癪(しゃく)に触(さわ)ったろうと思う。しかし先生にこういわれた時は、まるで反対であった。癪に触らないばかりでなくかえって愉快だった。
这样的回答,真令人摸不着头脑,不过那时我并没有追究到底就回去了,而且以后不到四天的工夫,我又去看望先生了。先生一进客厅就笑起来,说道:
“又来了呵。”
“嗳嗳,又来了。”说着我自己也笑了。
我想要是受到别人这样对待,我一定会恼火的。可是先生这样说时,正好相反,不但没使我生气,反而觉得很愉快。
「私は淋(さび)しい人間です」と先生はその晩またこの間の言葉を繰り返した。「私は淋しい人間ですが、ことによるとあなたも淋しい人間じゃないですか。私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打(ぶ)つかりたいのでしょう……」
「私はちっとも淋(さむ)しくはありません」
“我是个孤独的人,”那晚先生又重复起前几天的话,“我是个孤独的人,也许你也很孤独。我虽孤独但是因为上了年纪,不活动也过得去,可你还年轻,这样可不行吧?只要能动,就闲不住。活动,就总想遇到点什么吧。”
“我一点也不孤独。”
「若いうちほど淋(さむ)しいものはありません。そんならなぜあなたはそうたびたび私の宅(うち)へ来るのですか」
ここでもこの間の言葉がまた先生の口から繰り返された。
「あなたは私に会ってもおそらくまだ淋(さび)しい気がどこかでしているでしょう。私にはあなたのためにその淋しさを根元(ねもと)から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。あなたは外(ほか)の方を向いて今に手を広げなければならなくなります。今に私の宅の方へは足が向かなくなります」
先生はこういって淋しい笑い方をした。
“孤独,莫甚于年轻的时候,要不,你为什么这样三番五次到我家来呢?”
这时,先生又重复前几天的腔调。
“虽然你遇到了我,恐怕你仍要感到孤独。因为我没有力量是你从根本上摆脱这种孤独的境地。迟早你就会向别处去发展你的交际,不到我这里来了。”
先生这样说时,凄然的笑了。