心の琴と書いて、心琴という言葉があります。
赤ちゃんは生まれたとき、心の中にハープを持たされています。
それで他者(たしゃ)からの感情を受け取れるようにです。
そして成長して、自らもその弦を爪弾く(つまびく)ことによって、
人と交(まじ)わっていきます。
ただ、いけないことをするとその弦はもろく(脆い)、ぷつりと切れてしまいます。
人の悪口を言うと切れる、人を妬む(ねたむ)と切れる、人を騙すと切れる、傷つける、奪う、犯す(おかす)、そして殺す。
そして、ついには奏(かな)でる弦が一本もなくなってしまう。
それが、あなたたちよ!
人は過ち(あやまち)を犯しても、何度でもやり直せるという人がいます。
私はそんな言葉を聞くたびに笑ってしまいます。
それは、不慮(ふりょ)の事故を犯した人だけであって、
計画し、あるいは衝動でも悪意(あくい)の存在したにん間には当てはまりはしない、決して!
多くの被害者遺族(いぞく)が、絶望的(ぜつぼうてき)な憤り(いきどおり)をもって会見(かいけん)します。
「もっと重い罪を」「極刑(きょっけい)を!」と。
なぜそんなにも憤りが続くのかといえば、それは、犯罪を犯す人間たちの中には、後悔(こうかい)が無い人がいるからです。
唯一(ゆいいち)の後悔は捕まったことに対してだけ。
裁判(さいばん)を有利に導く(みちびく)ための、吐き気のするような芝居。そんな芝居は、遺族たちにはすべて透(す)けて見えるんです。
生い立ち(おいたち)がどうだとか、親に愛されなかったとか、社会に見向きもされなかったとか、
うんざりするような言い訳と自己欺瞞(じこぎまん)。
言っておきますが、同じような環境に押し込まれても、
いいえ、もっと過酷(かこく)な運命に立たされても、
多くの人は犯罪など犯したりは決してしない。
他人を傷つけ、騙し、奪い、殺す。そんなことはしない。
薬物(やくぶつ)に手を染(そ)め、お年寄りを騙す、振り込め詐欺。
強盗(ごうとう)、強姦(強かん)、殺人(さつじん)。
他人の尊厳(そんげん)をたやすく奪えるのは、赤ちゃんが持たされたハープの弦が1本も、
もはやただの1本も残されてないからできることよ。
まさか、また蔓(つる)のように弦が生えてくるとでも思っているの?冗談じゃない!