光生さんへ
光生さんだって、今自分でそう書いてて、びっくりしました。あなたのことを名前で呼ぶのは、ちょっと記憶にないぐらい久しぶりな気がして、何か緊張します。とりあえずご報告です。私家を出ました。部屋を見てびっくりしましたか?口開いてませんか?今説明しますので、ひとまず、それを閉めてください。
あのね、光生さん、やっぱりこのまま、一緒に住んでいるのは、変だと思いした。私たちは離婚して結構たつし、何かと支障があると思うのです。どんな支障かはうまく説明できないのですが、最近どうもまた、あなたのことを見てると、変にざわざわとするのです。私なりにそのざわざわを打ち消すとか、あるいは元に戻す努力を検討してみたのですが、どちらもうまくいきませんでした。
私、あなたのことを変だとか言いましたが、どうやら誰より変なのは、私なのかもしれません。いろんなことの調整がうまくできないのです。好きな人とは生活上気が合わない、気が合う人は好きになれない。私、あなたの言うことやすることには、何一つも同意できないけど、でも、好きなんですね。愛情と生活はいつもぶつかって、何というか、それは私が生きる上で抱えるとても厄介な病なのです。前に映画を見に行きましたよね、ほら、私が10分遅刻したとき。横断歩道を渡ったら待ち合わせのところにあなたが立っていました。寒そうにして、ポケットに手を入れてました。「この人は今私を待ってるんだ」そう思うと、何故か嬉しくなって、いつまでも見ていたくなりました。それは映画を見るより、ずっとすてきな光景だったのです。
あなたをこっそり見るのが好きでした。あなたは照れ屋でなかなかこっち向かないから、盗み見るチャンスはたびたびあったのです。目黒川を2人で並んで歩くとき、こっそり見てました。DVD見てるとき、本読んでるとき、いつもあなたを盗み見て、気持ちは自然と弾みました。桜が見える家にお嫁に来て、桜が嫌い人と一緒に暮らして。だけど、あなたが思うよりずっと私はあなたに甘えていたし、包容力っていうのは、少し違うけど、あなたの膝で、くつろぐ心地よさを感じていました。一日、日向にいるような、そんな、まるで猫のように。もしかしたら私はこの家に住む3匹目の猫のようなものだったのかもしれません。
おいしいご飯ありがとう。暖かいベッドありがとう。膝の上で頭をなでてくれてありがとう。あなたを見上げたり、見下ろしたり、盗み見たり、まじまじ見たり、そんなことが、何よりかけがえのない幸せでした。
光生さん、ありがとう。
お別れするのは自分で決めたことだけど、少し淋しい気もします。でも、もし、またあなたをこっそり見たくなった時は、あなたにちょっと話しかけたくなった時は、また、どこかで。