《父のこと》(中) 原文
父は子供にも滅多に怒ることのない人だった。ときに叱ることがあっても、一言か二言いうだけで、そのあと、父の顔にはきまって困ったような、戸惑いが浮かんでいた。
若かったときの父は、かなり酒を飲んだようだが、年をとってからは、血圧が高かったせいもあって、あまり飲まなかった。
私が医学部に入り、血圧の測り方をおぼえて初めて測ったのは父であった。
母は、私が一人前の医師になっても信用せず、病気のことはすべて内科医の義兄に相談していたが、父は私にきくこともあった。
五十を過ぎてからの父は、よく横になってテレビを見ていた。父の好きなのは国会討論会のような政治番組と相撲であった。総選挙の開票速報などは、午前零時を過ぎても起きて熱心に見ていた。
母が「よく、あんなものが面白いものだ」と呆れて先に寝た。
そのあと、父と二人でテレビを見ながらも、互いに話すことはほとんどなかった。
「寝るか」といわれて、「ああ」とテレビを消すくらいのことだった。
それ以外のことについても、父とゆっくり話したことはなかった。大学へ進学するときも、専攻を決めるときも、母は即座に意見をいうが、父はまず「お前はどこにゆきたいのだ」とうなずくだけだった。
それにしても、父と二人だけでいる情景で想い出すことは少ない。
碁や将棋は父から教わったが、途中からは私の方が強かった。初めは私から「やろう」と声をかけたが、途中からは、父のほうから誘ってくることが多くなった。
そんなとき、私は少し面倒くさそうに相手をした。
いつのころからか、私は少しずつ生意気になっていた。
中学生のころ部屋のなかにスキーを持ち込んで、エッジをつける溝を彫っていると、父が明け方まで起きて手伝ってくれた。そのときも、私はとくに礼もいわなかった。
もちろん、父から勉強を教わっても、「ありがとう」と、いったことはなかった。