《罠の中》(九) 原文
「何をつまらないことで怒っているんだ」
信夫が行雄を見下ろしながら吐き捨てた。
「大学には行きたくないと言ったのはおまえ自身じゃないか。それを今になって……頭を冷やせ」
「たしかに頭を冷やしたほうがよさそうだな」
孝三がうんざりした顔で言った。「二人とも顔を洗ってきたらどうだ——玉枝さん」
「はい」
お手伝いの玉枝さんが返事した。
「二人を洗面所に案内しなさい。怪我をしているところがあれば、その手当てもしてあげるように」
「かしこまりました」
ふてくされた顔のまま立ち上がった敦司と行雄を連れて、玉枝は廊下に出て行った。さすがに彼女は長年孝三の世話をしてきただけに、この程度のハプニングではうろたえないようだった。
「すみません、乱暴者でして」
青木信夫が中山夫妻に向かって頭を下げた。いやいや、と中山二郎は掌を振った。
「敦司の言い方も悪かったのでしょう。それにあいつにも少し気の短いところがあるものですからね、まったく困ったものです」
「利彦もとんだ災難だったな」
孝三が彼の服を見て言った。シャツがぐっしょり濡れている。止めに入った時にビールをひっくりかえしたのだった。