仆たちの别れは、いつもこんなふうに、にえきれなかった。
今日こそは别れようと、大决心をして会いながら、気がつくとまた互いに体を寄せ合っていた。
男らしくな、女々しいといわれたら、弁解の余地はない。
自分で自分にあきれた。
それは彼女も同じようだった。
「今日で终わりにしましょう」といいながら、いつか仆を受け入れていた。
もちろん、最终的には、仆が求めるから、そうなるので、彼女から积极的に求めることはなかった。
现実に求めていくのは、常に仆のほうである。
だが、といって彼女のほうに责任がないとも言い切れない。
雰囲気に流されるとはいえ、彼女のほうにも、ある程度、仆を受け入れる态度はあった。
今日一日ぐらい、今一度だけ、という思いが、二人の気持ちを一层かきたてる。
これで、この人と二度と会えないかもしれない、そう思うと、さらに燃える。
それは残り火が燃え尽きる瞬间、鲜やかな焔の色を见せるのに似ている。
もう会えない、これで最后、そう思いながら、仆たちは逢瀬を重ねた。
それはあたかも、より激しい恋をするために、别れを利用しているとも言える。
だがいつまでも、そんな状态が続くわけもない。
彼女が仆から去っていく日は、刻々と近づいていたし、仆も周囲から注意を受けていた。
结ばれる可能性もない女性と、いつまでも会っているのは罪悪だとも言われた。彼女の幸せを思うなら、きっぱりと离してやるべきだとも言われた。
それもこれも、みんなわかった。
充分すぎるほどわかりながら、そのようにできない。
それは、人间の一つの业のようなものかもしれない。
やがて十二月になった。彼女の去っていくっ日は目前に迫っていた。
仆はふと、二人で会うのを、夜にするからだめなのだと思った。夜の、心が萎えるときに会うから别れられないのだ。
真昼间、明るいガラス张りの吃茶店ででも会えば、きっぱりと别れられるのではないか。
昼间、なに気ない会话のあと、「じゃあね」といって店を出て行く。それなら、未练なく、ドライに别れることができるのではないか。
日曜日の午后、仆达はガラスごしに舗道の见える吃茶店で会った。
平凡な会话のあと、「じゃあ」と、伝票を持って立ち上がった。
だが外へ出て、明るい光の中で歩き出すと、二人は自然に同じ方向に歩き出した。
どこに行くとも、行こうか、とも言わない。
ただ足が一绪に并んでいく。
それは、仆の意思というより、体が胜手に动いたといったほうが正しい。仆でない、もう一人の自分が歩いていた。
别れたくないのに、无理に别れるのは、罪悪ではないか、そんな理屈も考えた。
こんなことをくり返して十二月の半ばになった。
もう本当に日が迫っていた。