中秋のうた(仲秋小令) 散文 日语日文

中秋のうた(仲秋小令) 散文 日语日文

2016-10-10    04'05''

主播: 光金大叔

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介绍:
仲秋小令 中秋のうた 天气凉了。是从一缕风开始凉的。是从一滴露开始凉的。 涼しくなってきた。一筋の風から涼しさは始まる。一滴の露から涼しさは始まる。 我上班的路上,有户人家,在屋旁种了扁豆。那蓬扁豆很有能耐地,顺着墙根,爬上墙,爬上屋顶,最后,竟一占天下。 屋顶上的青瓦看不见了,全被它的枝叶藤蔓,覆盖得严严实实。 私の通勤路には、家屋の傍らでインゲンマメを育てている家がある。そのインゲンマメはたいしたもので、壁の根元から壁にそって這い上がり、屋根まで登って、最後についに天下を得ている。屋根の灰色瓦はまったく見えず、すべてその枝やツルに覆われてしまっている。 紫色的小花,一串一串,糖葫芦似的,在屋顶上笑得甜蜜。小屋成了扁豆花的小屋。我路过,忍不住看上一眼。走远了,再掉过头去,补上一眼。那会儿,我总要惊奇于一粒种子的神奇,它当初,不过是一粒小小的种子。 紫色の小さな花が糖葫蘆(タンフールー)のように一串一串と、屋根の上で可愛らしく咲いている。小屋はインゲンマメの花の小屋と化している。私は通りがかりに見上げずにはいられない。通り過ぎた後もまた振り返り、もう一度見る。その時、私はいつでも一粒の種の神秘に感じ入る。あのインゲンも最初は小さな一粒の種に過ぎなかったのだ。 路边梧桐树上的叶,开始掉落。一片,一片,像安静的鸟——秋叶静美。有小女孩在树下捡梧桐叶,捡一片,拿手上端详。再捡一片,拿手上端详。后来,她举着梧桐叶,跳着奔向不远处的她的小母亲。那位年轻的妈妈,正被一个熟人拽住在说话,赶紧回头,对小女孩俯下身去,一脸的温柔。 道端のアオギリの葉も落ち始めた。一枚一枚が佇んでいる鳥のようで、秋の木の葉は静かで美しい。一人の少女が木の下でアオギリの葉を拾い、一枚を手に取ってしみじみと眺めた。そしてまた一枚を手に取り、また眺めた。そして彼女はアオギリの葉を手に掲げ、そう遠くないところにいるお母さんのもとへと駆け寄った。その若いお母さんは、ちょうど知人に呼び止められおしゃべりをしているところだったが、すぐに顔を向けると、温和な顔つきで身をかがめた。 小女孩举着她捡到的梧桐叶问妈妈,妈妈,这像不像小扇子?我为之暗暗叫绝。再也找不到比这更可爱的比喻了,满地的梧桐叶,原是满地的小扇子啊。孩子的眼睛里,住着童话。 少女は拾ったアオギリの葉を挙げて、「ママ、これ小さな扇みたいじゃない?」と言った。私はこれを聞きひそかに喝采した。これ以上可愛らしい比喩はないだろう。地面いっぱいのアオギリの葉は、地面いっぱいの小さな扇だったのだ。子どもの目の中には童話の世界が宿っている。 屋旁的陈奶奶,在一个旧瓷盆里捣鼓。黄昏,在她身上拉上一条一条的金丝银线,她雍容得让我发愣。我问,陈奶奶你做什么呢?她说,种点葱呢。我的眼前, 就有了一瓷盆的青葱,嫩得掐得出水来的葱啊。有满盆的葱绿,在秋风里荡漾,又何惧凋落?生命的承接,总是你来我往,无有间断。 家のそばの陳おばあちゃんが、古い陶器の鉢の中をいじくりまわしていた。黄昏時、彼女の体に一本一本の金色や銀色の光線が降り注いでいて、彼女の神々しさは私を驚かせた。私が「陳おばあちゃん、何をしているの」と聞くと、彼女はネギを植えるのだと答えた。私の目の前には、鉢いっぱいの青いネギがあって、押せば水が出てきそうなほどみずみずしかった。鉢いっぱいのネギの緑が秋の風にそよいでいる。枯れるのをなぜ恐れる必要があるのだろうか。生命は受け継がれ、いつでもあなたが来て、私が行き、絶え間なく続いてゆくのだ。 节选自丁立梅散文《仲秋小令》 (丁立梅のエッセイ『仲秋小令』より一部抜粋)