毎日新聞社賞
「写真が伝えたこと」
植木 詩織 鹿児島県 45歳
私の両親はとてもやさしかった。私は怒られた記憶がほとんどない。成績が悪い時も、母は「私の子だから勉強はできないであたりまえよ」と笑い、父は「人生はひとつの道だけじゃないぞ」と言った。両親はどんな時も私の味方だった。私はそんな親に甘え、どちらかといえば親不孝の、頼りにならない娘に育った。
私は子供を作る気がなく、それをよしとしてくれる夫と結婚した。正直子供が苦手だった。おむつかえ、ママ達とのつきあい、小学校でのPTA活動、自分がそんな煩わしいことをするなんて想像ができなかった。ところが、そんな私が突然授かってしまったのだ。晴天の霹靂。私は42歳になっていた。年齢を考え悩んだが、授かったならそれが運命だと覚悟を決めた。そして高齢出産の星などと周りからはやされながら、なんとか無事に娘を出産した。
産まれてみれば娘は本当にかわいく、おむつかえも平気だった。この子が幸せに生きていけますように。そんな祈りにも似た感情が湧き起こり、自分でも心境の変化に驚いた。そしてたくさんたくさん笑顔の写真をとった。娘の笑顔を見るのが幸せだった。そんな折、自分が小さい頃の写真を見る機会があった。写真の中の私は、とても幸せそうに笑っていた。
突然胸が苦しくなり涙があふれた。どの写真も、自分が娘をとった写真にとてもよく似ていた。寝返りの写真、お座りの写真。きっと「詩織ちゃん!こっちむいて」「すごいぞ!できたできた」なんて言いながら写したんだろうな。写真から親の気持ちが手に取るように伝わってきた。当たり前にありすぎて、親の愛情なんて意識したことがなかった。反抗期になると自分ひとりで育ったかのようにふるまった。でも小さい頃はおむつを替えてもらい、毎日お風呂にいれてもらい、ごはんを食べさせてもらい…やさしく世話をしてもらったんだな。今生きていられるのは、まぎれもなく両親のおかげだ。この歳でいまさら恥ずかしいが、感謝の気持ちでいっぱいになった。そして、何の取り柄もない私が、何となくうまくいくだろうと根拠のない自信をもって過ごせているのは、どんな時もそのまま私を受け入れてくれた親の愛情が、潜在意識の奥深くにベースとして存在しているからだろうな、そんなことを思った。
私も夫も、いつまで娘のそばにいてあげられるか分からないが、一緒にいられる間は空気のようにたくさんの愛情を、いつの日か、自分は本当に愛されてたんだなぁと実感でき、力強く生きていける足場となるような愛情をそそいであげたいと思う。