銀賞
『 刻めないエプロン 』
後藤 昇 51歳 自営業 秋田県
「せんせい、これ、ける」
「食べて」
遠足の日の昼食は、担任冥利に尽きる。ファンに囲まれた人気スター並みだ。
純朴な1年生の小さな可愛い手に黴菌(ばいきん)がついているとは考えたくないが、ついさっきまで砂遊びした手、鼻をほじった手、カナヘビを掴んだ手に載せられたお握りや卵焼きや油ぎっちょの鶏からあげを食べる勇気は、俺にはない。すまない。甲斐性ナシだ。
「先生はいいから、自分で食べような。いっぱい食べてもっともっと大きくなるように」
自ら希望した1年生担当だった。超吸収力スポンジのように教えたことを貯め込む素直さ。膝や背中を奪い合う無邪気さ。6年生担任が続いて疲れていた俺にとって、初めての1年生は栄養ドリンクだった。においをのぞいては。
油粘土と埃とおしっこが混じったような、保育園と病院をたして2で割ったようなにおい。粉ミルクくさい赤ん坊とはまた違う、独特の子ども臭とでもいおうか。女の先生たちは偉大だ。流行の服を触られて汚されても気にしない。俺は出勤するとジャージに着替え、エプロンを付ける。同僚には「気合充分だな」と冷やかされるが、実は防御の為だ。
純毛のスーツに子ども臭がついてはたまらない。木綿ならすぐに洗えるから、いくらでも子供らを抱っこできる。
「せんせいのエプロン、いいにおぉい」
多めに入れた柔軟剤のお陰で、給食のおかずをべっちょりつけた口ですりすりされる。
ああ、懐かしい。退職してからもう五年も経ったんだ。親父が年金注ぎ込んで細々と守ってきた山奥の温泉。それだけでは足りなくて、俺の給与からも灯油代を支援してきたものの、潔く継ぐ決心をしたのだった。
そうじに使う襤褸切(ぼろき)れにしようと、古着の箱を開けたら、あの油粘土の匂いが染みたエプロンが出てきた。女々しいな、俺。これは刻むのやめよう。教え子の匂いは刻めない。