「明治の作家よりは、少し前に」(比明治时代的作家前进一步)

「明治の作家よりは、少し前に」(比明治时代的作家前进一步)

2016-11-28    07'42''

主播: 光金大叔

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介绍:
金垠辰さん 「明治の作家よりは、少し前に」 2016年10月26日3時0分 ■漱石国際エッセーコンテスト佳作  「夏目漱石の『こころ』どうだった?」  日本人の友達に、ソウルで初めて知り合った夜、わたしはこう聞いた。  「『こころ』? 高校のとき授業で読んだけど、なんで?」  ずっと日本文化に興味のあったわたしにとって、夏目漱石の小説は読まずにはいられないものだった。それで、韓国で漱石の代表作として紹介されている『こころ』の韓国版を3年前図書館から借りてきて家で読んでみた。正直に言って全然わたしの趣味ではなかった。むしろ「日本の人には、これ共感できるのかな」と気になった。『坊っちゃん』も読んだけど、なんか微妙で記憶に残らなかった。だから、「夏目漱石の作品はもういいか」とさえ思っていた。  「それでずっと気になってたの。で、読んでどう思った?」  すると彼は、なにげなくこう言った。 「本当面倒くさいやつだなと思った。」 わたしは笑ってしまった。 「やっぱり?!そうでしょう?わたしだけじゃないよね、そう思ったのは。」 なんとなくほっとした気分になったわたしに、彼はまた言った。  「あ、でも、小説じゃない本は面白かった。小説と違う雰囲気。それから、『吾輩は猫である』も。」  「えー、小説以外にも出してるんだね。初めて知った。」  一年後ふとこの会話を思い出したとき、この東京の彼に、夏目漱石の「小説じゃない本」はなんだったか聞いてみた。  「『現代日本の開化』だよ。」  韓国では他の講義録と評論が一緒に載っている『私の個人主義』として出版されていた。それを読んで、わたしの中で夏目漱石という作家のイメージはずいぶん変わった。明治時代の変化の中を自分なりの考えを持つ知識人として生きることは難しかったはずだ。正直わたしは『こころ』と『坊っちゃん』を読んだとき、夏目漱石はそんな社会から逃げたかったのかもしれないと思った。でも、『私の個人主義』と『現代日本の開化』から見た夏目漱石は、意外と世界を見る鋭い目と、それに対応するユーモア感覚を持っている人だった。人間として何が正しい行動か、個人と国家の関係はどうなるべきかについても、ちゃんとした意見を持っていて、わたしはその本が気に入った。  だから最初は、こんなバランスを知っている人が、どうして『こころ』みたいな作品を書いたのか理解ができなかった。でも『吾輩は猫である』まで読んだら、気づくようになった。わたしが見たその全てが夏目漱石という作家そのものじゃないかなと。全部集めて考えてみると、夏目漱石は珍しく正直な人で、自分の中にある矛盾を隠すとか、それをどうにかしようとするより、ただ見せようとしていたのかもしれない。19世紀の西洋文学の大ファンであるわたしには、それはそれで新鮮だった。何とか答えを探しだそうと、理想の目標にたどり着くために頑張ったり、悩んだり、挫折したりする主人公がよく出る西洋小説と違って、夏目漱石の小説にはどこかあきらめている感じがする事物が多いのは、時代を考えると自然だと思う。それにしても作家の態度や作品の雰囲気に独特なところがあると感じるのは、本来備わった日本伝統の考え方や生活方式が、外から迫ってくる西洋の思想や社会変化との衝突の証(あかし)なのかもしれない。わたしは文学にも日本の現代歴史にも詳しくないから、この推測が当てはまるかどうか分からないけど、わたしにはそのように感じられた。  わたしは夏目漱石という作家の作品は、今の時代でも読む価値があると思った。むしろ今の時代をどう生きていけばいいのか悩んでいる若い人に、十分通じると思う。世界は新自由主義の支配が崩れつつあるも、不況、テロ、戦争、原発、温暖化、高齢化の大きな問題とともに、価値観の混乱が生じている。こんな時代に、責任感と無力感を同時に感じるのは同然のことだろう。明治時代の夏目漱石のように。そして、夏目漱石は自分の中の矛盾を認め、自分の感情をちゃんと見て、正直に答えている。だから、わたしの友だちも「おもしろかった」と言えたのではないかと思う。  『吾輩は猫である』は愉快な作品だった。時々笑ったり共感したりして、おもしろく読んだ。話者の猫は最後にかめの水に落ちてしまって、その中でもうどうしようもないからと生きることをあきらめて楽になる。わたしはもどかしくて、「これはないんじゃない?!」と思わず言ってしまった。あの時代に個人として何ができたかを考えると、そんな結末を書いた作家の気持ちは理解できないこともない。でも、わたしがこの結末に賛成はしたくないと思うのは、先が見えない混乱の時代を生きていくしかないわたしたち今の世代に、自分なりの答えを見つけてほしいと希望を持っているからだ。自分の気分と感情には正直に、でも今の私たちは、明治時代の作家よりはちょっとでも前に進んでみようと、わたしは言いたい。  ◆キム・ウンジン 82年生まれ。ソウル在住。会社員。