《日々の100》
松浦弥太郎
005 村上開新堂のクッキー
「いつもは家族の誰にもあげないのだけれど、今日は特別に君にあげよう。さあ、どうぞお食べになって」
下戸(げこ)の僕に気遣って、宴たけなわの頃、家の主(あるじ)はピンク色をした箱をうやうやしく開けた。中を覗く(のぞく)と、クッキーは、ほんのわずかしか残っていなかった。
「美味しいのを最後にとっておいているんだ。残っているのは美味しいのばかりだぞ」
「全部食べたら一生言われるわよ。俺の大切なクッキーを残さず食べたってね。いつもは絶対、誰にもあげないのに」
主の奥方(おくがた)は、面白がって笑いころげた。
パステルグリーン色をした、どんぐりの帽子よりも小さなメレンゲをつまんで口に放る(ほうる)と、抹茶のほのかな苦味(にがみ)が口に溶けて、幸せな気持ちになった。
「僕は、僕の好きなものを君に全部教えたいんだ」
そう言うって主は、言葉で僕を酔わせた。
僕にとって、村上開新堂(むらかみ かいしんど)の詰め合わせクッキーは、特別なごちそうだ。亡き祖父の大好物(だいこうぶつ)だったからだ。二十七種類もの宝石が詰め込まれた、およそ一万円するクッキー缶。祖父から食べさせてもらったことは二度しかなかった。
その日、主の顔が祖父に見えて仕方なかった。
クッキーをかじるとカリッと音がした。