私が大切にしたいものは、自分の心の中に潜んでいるもう一人の自分に負けない気持である。これは、小さいときからマラソンを続けてきて実感した。
もう一人の自分とは何か?それは自分の中にある弱い心のことである。
マラソンでは、走っている最中に苦しい、やめたいと思うときがある。この気持ちがマラソンの時のもう一人の自分なのである。大会ではなおさらこの気持ちが強くなるので、練習の時からもう一人の自分に負けないように心掛けている。
例えば、夏休みに参加した陸上の合宿でのこと。ある日のメニューに六十分ジョグがあった。ジョグというのは、少し遅いペースで長い時間を走り続けることである。私は今まで最高三十分のジョグしかやったことがなかった。そして、先頭を走るのが三年生だったので、ジョグといってもペースが速かった。
四十分位経過したところで、私はとてもつらくなってきた。その時、私の中にペースを落とそうかな。つらいし、前についていかなくてもいいんじゃないかな。と思うもう一人の自分がいた。しかし、ここで自分に負けたら、大会ではなんか結果を残せるはずがないと思い、最後まで必死でついていった。
練習後、あの時もう一人の自分に負けず、頑張ってついていってよかったという達成感があった。
しかし、もう一人の自分に負けてしまうこともあった。それは、七月に出場した中体連陸上、一年生五百メートルの県大会のこと。県大会では、予選で十六位以内に入らないと決勝には進めない。そのため、絶対決勝に行くと心に決めて練習してきた。アップでも調子は絶好調。そして、スタートした。
しかし、一周目、急に腹が痛くなってしまった。私はパニックになり、フォームがかなり乱れた。どんどん前の人の背中が遠くなっていった。お腹の痛みも増してきた。お腹痛いし、決勝なんて残れないというもう一人の自分。ダメ、あきらめたらそこで終わっちゃうといういつもの私。走りながら、それを何度も繰り返す。結局三周目あたりで、もう決勝なんて無理だというもう一人の自分にまけてしまった。あきらめてしまった。結果は最下位だった。ゴール後、涙があふれだしてきた。順位が悪かったというだけではなく、なんであきらめてしまったのだろうというもう一人の自分に勝つことができなかった私に対しての涙だ。あの時、もう一人の自分に負けなければ、今とは違う結果になっていたかもしれない、こんな風に涙を流すこともなかったのかもしれない、と何回も何回も後悔した。
もう一人の自分に勝った時は、すごく達成感があるし、負けずに頑張ってよかったなという気持ちになる。逆に、もう一人の自分に負けたときは、あの時負けずに頑張っていたらな…と、すごく後悔する。また、大会などでは、自分にまけてしまったその瞬間、それまでどんなに練習で自分に負けずに努力していても、すべてが水の泡になってしまうと思う。
だから、もう一人の自分に負けないことは、大切なことだ。しかし、県大会の時のように、もう一人の自分に負けない、ということはすごく難しいことだ。どうしても負けてしまうことがある。まだまだ私は弱いな、と思う。
先日、母と話をしていて、ほかのクラスのAさんの話になった。
Aさん、今度高飛び込みの全国大会に出るんだって。
すご~い。競技人数が少なくても、標準記録を破らないと全国大会にはいけないんでしょ。
そうだよ。だから、人が少なくても、自分と戦いってことだよね。すごいなあ、よっぽど自分に厳しい人なんだろうね。
そうだね。人と戦うより自分と戦う方が難しいかもね。
母の言葉を聞いて、確かにそうだな、と思った。しかし、難しい、難しいと言ってばかりでは、よい結果など残せないと思う。Aさんの話をして、常に自分に厳しく、もう一人お自分に負けずに頑張ろう、という気持ちが改めて強まった。
マラソンというスポーツの中で、つらく、苦しい場面はいくつもある。そして、勉強や人間関係においても、逃げ出したくなることもある。しかし、そんな時、私はやはり、もう一人の自分に負けない気持を大切にして、いろいろなことを乗り越えていきたい。