命の年齢

命の年齢

2017-03-12    11'47''

主播: 蓮華

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介绍:
どこからか入ってきた小さなアリがノートの上を歩いている。よく見るとお腹のところが少し透明なところと、色の濃い縞模様になって、呼吸のためか少し上下に揺れている。時々何か考えるように触角を動かし、周りを見回してまた歩く。こんな二ミリ位の生物の、どこにそんないろいろな動きができる仕組みが備わっているのだろうか。 水槽の中には生まれたばかりのグッピー(花鳉,俗名孔雀鱼、百万鱼)の赤ちゃんがいる。四ミリ位の体長に比べ目が大きくてかわいい。それが小石と小石の間に身を隠して、大きな魚たちを警戒してみている。目だけがキョロキョロ動いてほかの魚を見ているから、この四ミリの小魚が困っている気持ちが伝わってくるようだ。 私は不思議に思っていることがある。生きているってどういうことだろう。それに死ぬってどういうことだろう。私の祖父は死んでしまったが、私の顔のイメージや性格は祖父に似ている。手や足や血の中にそのまま生き続けている。 私は本当は何歳なのかな、と思うことがある。私は現在十三歳。だけど生命として受け継いできたものの年はいくつだろう。地球上の生命は生まれてから少しずつ進化して、いろいろな生物に枝分かれしたという。前の生物から受け継いできた生命そのものはずっと死なずに、それこそ永遠に永久に生きている。死んだのはその時の仮の姿で、実は生命というものは決して死なないのだ。 アリを鉛筆でちょっと触ってみる。アリは慌てて逃げていく。こんな小さい生物に危険なんてわかるのだろうか。ただ私がアリに鉛筆で触ったので、何か他の動くものに自分が触れたとき、逃げるように作られているのだろうか。逃げないアリたちは長い間に敵に食べられて死んでしまい、逃げるように作られたアリたちだけが残ったのかもしれない。生命というものがそこでまた受け継がれていくのだろう。 何千年も何万年も何億年もかけて受け継いで守ってきた生命を人はなぜ壊そうとするのだろう。人間以外の動物は自分が食べる分しか殺さないという。でも人間は自分の欲望のため、ただのわがままのために人の命を奪うこともある。これはとても恐ろしいことだ。なぜなら、その命は目の前のものではなく何億年も続いたものだからだ。 生命、生きているというのは不思議なものだ。私の心とは別に、私の体の中の生命の意志だとか、考えとかあるのだろうか。私は夏になると蕁麻疹に苦しめられる。ちょっと暑くていやだな、と思うと、たちまち体中真っ赤になってしまう。今のところ有効な薬などはないそうだ。でも体のほうが、暑いのは嫌いだ、というメッセージを送っているとしたら、これは生命の意志かもしれない。 ある植物についての説明を、一人の学者がしていた。去年の夏休みのころのテレビ番組だったと思う。その木は芽が出てしばらくすると、毛虫がたかって葉がほとんどなくなってしまった。次の年もまた葉が出てしばらくすると同じ虫が大量発生して木の力を弱らせた。そしてその次の年。木はいつまでたっても芽が出ない。前年と同じころ、また虫が大量発生するが木の葉がないので虫は全滅してしまい、その後しばらくしてから葉が出てきたという。 その先生は確かこのようなことを話していた。 毎年木が虫にやられてかわいそうだという人がいるが大丈夫。木は自分で葉を出すタイミングを考える。 私はその時、すごく驚き、感動した。これは生命に意志あるからこそ、できることなのだ。 地球が生んだ生命は何億年もの時間をかけてそれぞれの生物になった。一つ一つ生物にはものすごい意志とエネルギーがつまっている。私たちは生きていくためにほかの生物を食べるが、それは生命そのものをもらって食べているのだ。 それに私たちはめったにほかの生物に食べられたりはしない。だからいつも食べる側の頂点にあり、いつしか人間だけがほかのものを支配してもいいと思ってしまっている。でも本当は虫も魚も鳥も植物も、同じ地球時間を過ごした生命であり、形が違うというだけのことなのだ。 つい、私たちは思いあがってしまう。人間だけが高貴だと考えるのは私たちの勝手な思い込みだ。地球の仲間とともに毎日感謝しながら生命のくさりをつないでいきたいと思った。
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