家族って何だろう?
簡単すぎて考えもしないような質問に、私は答えることができずにいた。母がいない私の家族は、いわゆる普通の家族とは、少し違う。でも、そんな私だからこそ、家族の絆を実感することができたのだと思う。
きっかけは、五月末から始まった祖母の介護だった。祖母は、今年八十歳。それまでも、ストレスや疲れが原因で入退院を繰り返し、体調は万全とは言えなかった。祖母は、家族に心配をかけまいと明るく振舞っていたが、長年の無理がたたってしまったのだろう。祖母の両腕は箸も持てないほど力がなくなり、右手が不自由になってしまった。診察の結果は、腱鞘炎。急遽、手術が決まった。
祖母の入院を機に、私が家事一切を切り盛りする決意をした。この頃は、部活動と受験勉強の両立だけでもやっとの時期だった。父は、
あんまり無理するなよ…。
と言ってくれたが、夜勤が多く忙しい父には、これ以上負担をかけたくなかった。誰よりも早く起きて、朝食の支度と弁当作り。部活を終えて帰ると、夕食の支度と片付け、洗濯、お風呂。やっと勉強を始める頃には眠くなってしまい、横になったときには日付が変わっていた。そんな生活が続き、授業中、うとうとしてしまうこともあった。
しかし、本当に大変だったのは、祖母が退院してきてからだった。熱を出した日から、祖母は自分で起き上がることができなくなってしまった。祖母を抱きかかえて持ち上げ、ズボンを履かせるのに五分もかかってしまうような状態だった。
どうして私だけがこんな思いをしなければならないんだろう。お母さんがいたらどんなに楽だろう。
勉強や部活にだけ打ち込むことができる仲間の姿、学校生活で笑いあっている級友の姿がとても輝いて見えた。母親から作ってもらった仲間の弁当をうらやましく思い、自分の弁当と比べてしまうときがあった。何もかも捨てて、逃げ出したくなったこともある。そして、祖母のために何もできない自分がすべて悪いのだと自分を責め続けた。そんな時、祖母は私にこう言った。
歩季だって忙しんだべ。いろいろ背負わせてごめんなあ。
弱弱しい祖母の声が、私の心に重く、そして深く響いた。
幼いころから私を育ててくれた、たくましかったはずの祖母は、抱き上げると軽くなり、大きかった後姿は、急に小さく見えた。祖母の腕に残った手術のあとは、大きく痛々しい。父の体にも仕事でつけたたくさんの傷のあと。ケガしたことに気づかれないように薬を塗る父の姿。
一つ一つの仕草に、申し訳なさそうな表情を浮かべる祖母。言葉にはできない思いが、私の中にあふれた。自分がだれかに頼られ、必要とされている感覚。幼いころに手を引いてくれた祖母の手を、今私が支えている。絆。
今、物質的な豊かさの中で、壊れかけている家族内でのトラブルや事件が急増しているという。親が子供を虐待。子供が親を殺害。無理心中…。こんな事件が続いている。どうしてこんなことが起きるのだろうか。社会の中で、最も小さく、そして強い絆で結ばれているはずの家族を私たちは、もっともっと大切にすべきではないだろうか。
一緒に住む。一緒に笑う。守ってくれる。大切にする…。家族には、いろんな形があると思う。
幸い、快方に向かっている祖母は、
歩季がいたから、頑張れたんだ。
とよく言う。私が見つけた、家族の形。
互いにかけがえのない存在だからこそ、守り、そして守られていく。つらいとき、苦しいとき、悲しいときには、手を差し伸べ支えあう。親は子供を、厳しくも温かく見守り、子供は、親に大切に育てられ、いつか恩返しをする。強く固い絆で結ばれてこそ、家族だと私は思う。
あなたにとって、家族とは何ですか。