僕は将来医者になりたい。理由に変化はみられるが、この思いは幼稚園の頃からずっと胸の奥にある。幼少の時は単純に医者である父が病気になったとき、診る人がいないと思ったから。次は野球少年だった僕たちのピンチを救ってくれたのが医者だったから。そして、今は人間の生と死、すべての人の根本にかかわる職業だと思うからだ。
人間は恐ろしいくらい強い、すごいと思う反面、悲しいくらい弱いと感じる。物事が上昇傾向にあるときは気力も体力も充実するのに、歯車が狂いだすと周囲を巻き込み、止まってしまう。予想もしていなかった、ある日突然の事態ではなおさらだ。病、事故はまさにそうして起こる。そして抜け出すのには多くの力がいるのだ。その手伝いができるのこそ医者だと僕は思う。仕事が好きというより困ったとき力になれるという点に強く引かれる。
お医者さんは病気を治してくれると人はいうし、僕もそう思っていた。しかしそれは無理だ。もちろん治せるときもあるけれど、人は必ず死を迎えるし、その恐怖、不安を拭い去ることなどできやしない。でも、患者さんとともに病と闘い、その懸命な姿を見せることで、生きることの大切さ、死の受け入れ方を次世代の人たちにも伝えていけると思う。
以前友達のお母さんから衝撃的な話を聞いた。母を病室で見たとき、こんな目に遭わせたって思うと我慢できなくて、お医者さんに人殺しって叫んじゃったの。お医者さんは黙って頭を下げていたわ。腹痛を訴えた母を救急車で搬送したけれど手遅れで亡くなってしまったということだった。母も実父を突然亡くした時は医者を恨んだといった。父は大切な人を救えなかったんだもの。恨んでいいんだよと言っていたが、(一生懸命してくれただろうに…)と僕には納得できない思いが残った。しかし年を経るごとに(患者さん、家族、残される人、すべてを受け入れるのが医者なんだ)と思うようになった。つらいだろうが、悲しみ、恨みを受け入れることで、次へのステップに相手を立たせている、精一杯できることをしたという思い。次に生かすという自分への檄。落ち着いて思い返してくれた時、わかってくれるかもしれないという期待。それらが支えになるのだと思う。そしてこの多くの体験、厳しさを知っているからこそ、夜中、休日の呼び出しも遅くまでの勤務も、学会、勉強会もこなしていけるのだと思う。
医者になりたいといっても実際、研究、最前線医療、地域医療、何をやりたいか学んでみなければはっきりと曽田物はわからない。しかし、技術、知識を持っていれば一生涯役に立ち続けることができる。生涯現役で社会とのかかわりが持てるというのも魅力だ。若い、年輩にもかかわらず最高の治療を求めて裁量権を持ち、意見を交わし責任を持つ姿もいい。営利目的では働くまい、という倫理観も持てる。人の命を扱いながら、そこには絶対とか百パーセントなどという言葉はなく、命が常にある。謙虚にならざる得ないだろう。その思いが自分を律し、いつか患者の立場に立つ、危険を隣り合わせという危機感も戒めとなるだろう。
先日図書館に行ったら、7月の図書館は闘病記の特集です。という張り紙とコーナーに目がいった。そこには、脳、心臓、婦人、心の病、小児、癌など、区画ごと闘病記から解説、絵本まで数十冊以上の本がおかれ、多くの人が読みふけっていた。日常生活が当たり前に送られている中でも、人は病、死の恐怖と隣り合わせにいると実感した。
今高校三年生。現実を突きつけられ、高い目標だと感じてはいるが、夢に向かって精一杯努力したい。