《父のこと》(下) 原文
どういうわけか、父には感謝しても、素直に礼をいう気にはなれなかった。その種の言葉はいいにくかったし、いうまでもないとだと勝手に決めていた。
その傾向は年をとるとともに、いっそう強くなった。
考えてみると、もの心ついてから、私は常に父に反撥していた。心の底では父に悪いと思いながら、表に出るには、いつも冷やかな態度であった。
それは青春の驕りとともに、父と子の宿命的なものなのかもしれない。
とくに、父の死の数ヶ月前から、私ははっきり父に抗らっていた。それは女性関係からのことで、私に非があることはわかっていた。いずれ謝らなければならないと思いながら、私は父と口をきかなかった。それは青年の身勝手な面子のようなものだった。
父と最後に会ったのは、十一月の雪の降る夕暮れで、家から二百メートル離れた路上であった。父は勤め先から家に戻るところで、私は家から出たところであった。
もう三日間も父とは口をきいていなかった。
父は一瞬、話しかけたそうにしたが、私は無視して街へ向かった。
父が急死したのは、その翌日の明け方だった。
死因は狭心症であったが、私は外泊して家にいなかった。
本当にものをいわなくなった父の顔を見て、私は初めて、父に沢山のことを、いい残していたのを知った。
あのこともこのことも、いつかいおう、いつかいうときがあると思いながら、放置してきた。
正直いって、私は父がそんな簡単に死ぬとは思っていなかった。まだまだ、いつまでも生きていてくれるものだと思い込んでいた。いまは抗らっていても、いずれ二人で、酒でも飲みながら、ぼそぼそ話すときがあるとたかをくくっていた。
だが、ときに疾風のように死が襲うことがある。いうべきことは、いえるときにいっておかなければならない。尽くすべきことは、尽くせるときにしておかなければならない。
「孝行を、したいときには親はなし」という言葉を、私は子供のときから知っていた。そんなことは、誰に説明されるまでもなく、わかりきったことだと思っていた。
だが、父の死にあって、私は初めてその言葉の本当の意味を知った。頭だけでなく、身についたたしかな知識として体得した。
父の死にあって、私は初めて優しくなった。いまなら父に素直に謝ることもできる。
だが、すでに父はいない。
それから十数年経つが、いまでも相撲のテレビを見ると、父を国技館に連れていったら、どんなに喜んだろうかと思う。