课文原文
||社説||問われる五輪(ごりん)招致(しょうち)の是非
オリンピック開催といえば、昔は国を上げて喜んだものだ。しかし今日(こんにち)ではどこの国でも、オリンピック開催をめぐって意見が対立する。開催国はオリンピックを契機(けいき)として、国の発展(はってん)を願う。しかし、オリンピック開催には多くの費用がかかる。それで政府に対する抗議(こうぎ)の声が上がることになるわけだ。
また、オリンピック開催にあたっては、資金に加えて(くわえる)、競技場(きょうぎじょう)などの建設用地(けんせつ ようち)の確保(かくほ)も重要な課題(かだい)となる。そのために住民移転(いてん)問題も出てくる。住み慣れた土地を離れることは、補償金(ほしょうきん)や代わりの住宅(じゅうたく)が用意されたとしても、簡単に納得できることではないだろう。
オリンピック憲章(けんしょう)の中に、「スポーツを通じて(つうじる)平和な社会を構築(こうちく)する」とある。この理念(りねん)に基づいて、国際社会の平和を目指すことは素晴らしいことだ。しかし、国民の感情や生活を犠牲(ぎせい)にしてオリンピックが開催されることがあってはならない。多くの人が賛同(さんどう)してこそ、オリンピックを開く意義がある。今、世界規模でオリンピックのあり方を、改めて(あらたまる)考えるときが来ているのではないだろうか。