爱是无法言说的存在
就好比
陪伴是最长情的告白
很多时候
我们彼此的存在
便是生命中最大的意义
「しあわせは手ごたえを伴ってやってくるが、しあわせぼけはさりげなく侵入する」
(「しあわせぼけ」幸田文より)
文:山下景子(著書『しあわせの言の葉』より)
物語なら、「みんなはしあわせになりました」でおしまい。でも、現実は、そこでは終わらないのです。
“有難いと思い、感謝し、ひたすら平安に落付いているうちに、勇気は失う、気力は減る、忍耐はあまくなる、からだは弱くなる、ものが億劫になる、と喪失ばかりである”
幸田文は、それを「しあわせぼけ」と呼んでいます。
文豪、幸田露伴の娘として生まれた彼女は、さぞ恵まれた家庭に育ったのかと思いきや、病気がちの家族の世話に明け暮れ、結婚すれば、離婚、倒産と、苦労の絶えない人生だったようです。それを苦難を乗り越えてきた彼女の言葉だけに、説得力がありますね。
不幸を克服するよりもしあわせを上手に扱う方が難しいと、彼女は言います。
先人たちは、不幸を克服することに懸命でした。その努力の上に、今の私たちのしあわせが成り立っているのです。
“ふしあわせをなんとかしのげたのなら、しあわせももっと上手に扱える筈である”
しあわせの扱い方については、まだまだ、勉強する余地がありそうですね。