授業が始まって、一カ月ばかりすると私の心に、また一種の弛(たる)みができてきた。私は何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分の室(へや)の中を見廻(みまわ)した。私の頭には再び先生の顔が浮いて出た。私はまた先生に会いたくなった。
始めて(2)先生の宅(うち)を訪ねた時、先生は留守であった。二度目に行ったのは次の日曜だと覚えている。晴れた空が身に沁(し)み込むように感ぜられる好(い)い日和(ひより0、3)であった。その日も先生は留守であった。鎌倉にいた時、私は先生自身の口から、いつでも大抵(たいてい)宅にいるという事を聞いた。むしろ外出嫌いだという事も聞いた。二度来て二度とも会えなかった私は、その言葉を思い出して、理由(わけ)もない不満をどこかに感じた。私はすぐ玄関先(0)を去らなかった。下女(げじょ1)の顔を見て少し躊躇(ちゅうちょ)してそこに立っていた。この前名刺を取り次いだ記憶のある下女は、私を待たしておいてまた内(うち)へはいった。すると奥さんらしい人が代って出て来た。美しい奥さんであった。