私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。
「誰(だれ)の墓へ参りに行ったか、妻(さい)がその人の名をいいましたか」
「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」
「そうですか。――そう、それはいうはずがありませんね、始めて会ったあなたに。いう必要がないんだから」
先生はようやく得心(とくしん)したらしい様子であった。しかし私にはその意味がまるで解(わか)らなかった。
先生と私は通り(3)へ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々(イサベラなになに)の墓だの、神僕(しんぼく)ロギンの墓だのという傍(かたわら)に、一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょう しつうぶっしょう)と書いた塔婆(とうば)などが建ててあった。全権公使何々というのもあった。私は安得烈と彫(ほ)り付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦笑した。(第25天)