【日语共读】我是猫(33)

【日语共读】我是猫(33)

2018-03-31    03'12''

主播: 日语主播

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介绍:
吾輩は猫である” 皆さん、こんばんは。 今天继续由主播reno为大家带来 夏目漱石的《我是猫》共读。 我是猫(33)-reno 来自日语之声 00:0003:12 -我是猫33- 《我是猫》是日本作家夏目漱石创作的长篇小说,也是其代表作。这部作品写于1904年至1906年9月,1905年1月起在《杜鹃》杂志上连载,不久,编成上、中、下三册出版。 夏目漱石为发泄多年郁愤而写成的长篇小说《我是猫》,淋漓尽致地反映了二十世纪初,日本中小资产阶级的思想和生活,尖锐地揭露和批判了明治“文明开化”的资本主义社会。 这部作品是以一位穷教师家的猫为主人公,以这只被拟人化的猫的视角来观察人类的心理。这是一只善于思索、有见识、富有正义感又具有文人气质、但至死也没有学会捕捉老鼠的猫。 「何迷亭が洋行なんかするもんですか、そりゃ金もあり、時もあり、行こうと思えばいつでも行かれるんですがね。大方これから行くつもりのところを、過去に見立てた洒落なんでしょう」と主人は自分ながらうまい事を言ったつもりで誘い出し笑をする。客はさまで感服した様子もない。 “什么?迷亭君何曾去过外国!若是又有钱,又有闲,几时想去都是可以去的。不过,他大约是把今后想去说成了已经去过,是拿人开心吧?”主人想卖弄一下妙语连珠,带头先笑了。客人却毫无赞许之意。 「そうですか、私はまたいつの間に洋行なさったかと思って、つい真面目に拝聴していました。それに見て来たようになめくじのソップの御話や蛙のシチュの形容をなさるものですから」 “是吗?我还以为他什么工夫留过洋,不由得洗耳恭听哪。何况,如您所见,他谈起什么煮蚰蜒呀,炖青蛙呀,简直活灵活现。” 「そりゃ誰かに聞いたんでしょう、うそをつく事はなかなか名人ですからね」 「どうもそうのようで」と花瓶の水仙を眺める。少しく残念の気色にも取られる。 「じゃ趣向というのは、それなんですね」と主人が念を押す。 “他是听别人说过吧?扯谎,他可赫赫有名哟!” “看来真是这样。”客人边说边观赏花瓶里的水仙,面上罩着淡淡的遗憾神色。 主人问道:“那么,他所谓的妙趣,不过如此吧?” 「いえそれはほんの冒頭なので、本論はこれからなのです」「ふーん」と主人は好奇的な感投詞を挟む。「それから、とてもなめくじや蛙は食おうっても食えやしないから、まあトチメンボーくらいなところで負けとく事にしようじゃないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の気なしに、それがいいでしょう、といってしまったので」 “哪里,这仅仅是个小帽,好戏还在后头哩!”既然主人叮问,东风便又接着说:“后来迷亭先生对我说:‘咱们商量一下,煮蚰蜒啦,炖青蛙啦,再怎么馋,也吃不到嘴里。那就掉点价,吃点橡面坊丸子如何?’因为他说和我商量,我便随声附和地说:‘那好吧!’” 「へー、とちめんぼうは妙ですな」 「ええ全く妙なのですが、先生があまり真面目だものですから、つい気がつきませんでした」とあたかも主人に向って麁忽を詫びているように見える。「それからどうしました」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪には一向同情を表しておらん。 “哼!橡面坊丸子?绝!” “是啊,太绝啦!不过,迷亭先生说得太认真,当时我还没有醒悟哩!”客人仿佛在向主人检讨自己的粗心。 “后来怎么样?”主人漫不经心地问。对于客人的致歉丝毫也没有表示同情。 「それからボイにおいトチメンボーを二人前持って来いというと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生はますます真面目な貌でメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました」「なある。そのトチメンボーという料理は一体あるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボーだトチメンボーだとボイに教えてやりました」 「ボイはどうしました」 “接着,他喊堂倌:‘喂,拿两份橡面坊丸子来!’堂倌问道:‘是牛肉洋葱丸子吗?’迷亭更加一本正经地订正说:‘不是牛肉洋葱丸子,是橡面坊丸子。’‘嗯?有橡面坊丸子这么一道菜吗?’当时我也觉得有点稀奇。可是迷亭先生却十分沉着,何况又是那么一位西洋通,更何况我当时完全相信他去过外洋,便为他帮腔,告诉堂倌说:‘橡面坊丸子就是橡面坊丸子!’” “堂倌又怎么样? 主播 | reno 小编 | tsuki酱 责编 | 日语之声