しかし、この時は違っていた。クジラはもう確実に水中の私の存在を認知しているにもかかわらず、コースを変えることなく接近を続けている。
水中マスク越しに見る狭い視界は、すでに母クジラの巨大な体に覆われていた。手を伸ばせば届くほどのところに来たクジラの、体表に付いた藤壺に一つ一つや、皮膚に刻まれた傷の質感までを、はっきりと見て取ることができる。
本当にぶつかりそうなところまで来て、母クジラがようやく頭を右に振った。そして子クジラをかばうように、ゆっくりと旋回していく。ザトウクジラ特有の長い翼のような胸ビレが通過していくのを、私は頭をかしげてよけた。
この時、子クジラは好奇心を持って、母クジラはややいぶかしげに私を眺めていた。人の手のひらほどの大きさの目が、私の動きを追っていたのを、今でもはっきりと思い出すことができる。この巨大な生き物と至近距離で視線を交わす、不思議な陶酔。