仆は美しい别れがないとは思わない。别れは美しく、甘美なものである。
だが、それはある年月を経て、思い出したときの感伤で、别れそのものの実态とは少し违うような気がする。
年月というものは、すべてのものを美しくする。それは魔术师のように巧妙で、鲜やかである。
年老いた人はみな、自分の青春时代を、古きよき时代という。
八十年代の人は大正を、六十代の人は昭和初期を、そして四十台の人は、あの大戦と、それに続く暗い年代をさえ、よき时代という。
それはみな过去というベールを透かしてみたときの感伤で、その时点からの见方ではない。
それは过ぎた青春へのノスタルジイで、その意味で、一方的でナルシスティックなものである。
だからこそ、ある人が、自分たちの青春が素晴らしかったことをいかに热心に说明したところで、ほかの世代の人には、何の共感もよばない。
冷ややかないい方をすれば、自己陶酔としかうつらない。
恋の别れも、それに近い。
いま仆は、k子との别れを、甘く美しいものとして回想できる。
二人は爱し合っていたが、互いの立场を理解して别れたのだと思い込むことができる。
それはまさしく、思い込むという言叶があたっている。年月の风化が、美しいものに过去をすり変えた。
だが、别れの実态はそんな美しいものではなかった。互いに伤つけ合い、骂り合い、弱点をあばき合った。
とことん、相手がぐうの音も出ないほど、いじめつけて、そして自分も伤ついた。
爱した人との别れは、美しいどころか、凄惨でさえあった。
しかし、それはいいかえると、そうしなければ别れられなかった、ということでもある。
そこまで追いつめなければ别れられないほど、二人は爱し、憎みあっていた。
仆は今でも、「君を爱しているから别れる」という台词を信じられない。
そういう论理は、女性にはあるかもしれないが、男にはまずない。
たとえば、恋人にある縁谈があったとき、「君の幸せのために、仆は身を退く」ということを言う男がいる
また、「仆は君には価しない駄目な男だ。君がほかにいい人がいるなら、その人のところに言っても仕方がない」という人もいる。
こういう台词を、仆は爱している男の言叶としては信じない。
もし男が、相手の女性をとことん爱していれば、男はその女性に最后まで执着する。
もちろん、人によって表现に多少の违いはあろうが、そんな简単にあきらめたりはしない。
その女性を离すまいとする、かなりの犠牲を払っても、その女性を引きとめようとする。
恋とは、そんなんさっぽりと、ものわかりのいいものではない。
いいどころか、むしろ独善的である。
相手も、まわりの人も、谁も伤つけない爱などというものはない。それは、伤つけていないと思うだけで、どこかの部分で、他人を伤つけている。
爱というのは所诠、利己的なものである。
だから伤つけていい、という理屈はもちろん成立たない。他人を伤つけるのは、できる限り少なくしなければならない。