日本という国名の由来は
日本国国名的由来
日本のことをさす言葉に、古くは「大八洲(おおやしま)」、「秋津島(あきつしま)」、「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」、「葦原中国(あしはらなかつくに)」、「大和(やまと)」などがあり、中国では「倭(わ)」と読んでいました。
古时,日本有过诸多名称,例如“大八洲”、“秋津岛”、“丰苇原瑞穗国”、“苇原中国”、“大和”等。中国古时称日本为“倭国”。
それが「日本」と定められたのは、大宝元年(701年)に制定された大宝律令によってです。
据日本历史记载最早将国名定为“日本”是出自大宝元年(701年)制定的大宝律令。
大宝律令は、日本最古の完成された成文法で(それ以前にも近江令(おうみりょう)、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)などの試作品はありました)、日本という国は、生まれたときから「日本」であったといってよいでしょう。
大宝律令是日本历史上第一部成文法典。(此前有近江令、飞鸟净御原令等试行法典)其中明文规定日本自建国之日起称为“日本国”。(注:日本历史学界对历史上是否存在近江令这部法典各执一词。普遍认为飞鸟净御原令是日本最早出现的系统性法典,但因还不够完善,最终只算作试行法典)
大宝律令のころは「日本」と書いて「やまと」とか「日の本」と読んでいましたが、奈良時代になると漢字の知識が広がり、訓ではなく音読みするようになりました。「にほむ」と発音していたようです。
大宝律令颁布期间日本国国名写作“日本”,读作“大和(やまと)”或“日之本(ひのもと)”。到了奈良时代,由于汉字知识的普及,逐渐废除了训读读法,改为音读读法。发音为“にほん”。
これが時代が下がって、室町時代になると、東国の発音で読まれるようになり、「にほん」あるいは「にっぽん」となったのです。
岁月流转。到了室町时代逐渐以东国的发音为标准,发音为“にほん”或“にっぽん”。(注:东国相当于现今日本关东地区)
現在では、「にほん」でも「にっぽん」でもどちらの読み方でも構いませんが、昭和九年(1934年)の文部省臨時国語調査会では「にっぽん」に統一され、一時期この呼び方が強制されたことがあります。
虽说现如今哪种读法都无伤大雅,但昭和9年(1934年)日本文部省国语临时调查会曾一时间强制要求日本全国上下统一将日本读作“にっぽん”。(注:日本文部省国语临时调查会是日本国语审议会的前身。主要职能是改善国语,振兴国语教育,向政府提交关于改善国语的政策等。现已并入日本文化审议会)
このとき、東京の日本橋と「日本書紀」だけは例外に「にほん」と読んだといいますから、考えてみたらずいぶんおかしな話です。
这段时期,因为只有位于东京的日本桥以及日本的古籍《日本书纪》可以破格读作“にほん”,所以想到此事总会觉得相当怪异。(注:日本桥建成于江户时代初期1603年。于明治44年即1911年改建。日本桥一带曾是日本经济的中心。现位于东京站附近。《日本书纪》是日本流传至今最早的正史。类似中国的《史记》)
英語のジャパンという呼び名はマルク▪ポーロの「東方見聞録」に載せっていた「ジパング」(黄金の島)からきています。
英语JAPAN源自马可波罗的著作《马可波罗游记》(也叫东方见闻录)中记载的“ジパングZipangu(意大利语黄金岛的意思)”一词。后演变为JAPAN。
知识延伸
律令格式
中国唐代法律的表现形式。“律”是指当代法典,规定罪名和刑罚;“令”是指皇帝的命令,规定贵贱等级等重要制度;“格”是指规定官吏的办事规则;“式”是指规定官署通用的文件程式。律、令创始于秦代,格、式创始于东魏、西魏,至唐代四种制度并行。