日语敬语辨析(第四回)

日语敬语辨析(第四回)

2019-01-23    03'26''

主播: 胡先生日语朗读翻译

180 2

介绍:
第四回 していらっしゃる しておられる 言語関係の雑誌で、著者も加わって、「おる」と「おられる」との関係が論争されたことがあります。 「おる」は、もともと動作や状態が続いていることを表しました。一方、日本語は音節が長くなると丁寧に聞こえる、という特色があることから、「おります」は「います」の丁寧表現として定着しました。 ところが「わたしは……しております」のように使うときは、継続を表すだけでなく、へりくだった言い方としての働きももつのです。このため、「先生は……しております」とは使いづらくなりました。つまり、丁寧語でありながら、謙譲表現の意味合いももつです。 そこで、<「おられる」という言い方はおかしい>という意見が出ます。<「申される」と同じように誤りではないか」と。つまり、謙譲語に尊敬を表す「れる」を付けるのはちぐはぐな接語になるというのが、その理由です。 実は、そうではありません。「申す」は本質的に動作を低める言葉であり、「れる」は動作を高める言葉であり、水と油です。ですから、「申す」に「れる」を付加して「申される」にしても動作を高める言葉にはなりません。逆向きの接続となるだけで、誤りなのです。 著者は、このようなちぐはぐな接語を“木竹語”と呼んで戒めています。木に竹を接いでも、木は竹にはなりません。枯れてしまうだけです。 「おる」はどうでしょうか。「警報が出ております」のように事象を表すときには、普通の丁寧表現にすぎません。 つまり、「申す」「参る」などが本質的に謙譲語であるのに対して、「おる」は基本的には丁寧語なのです。 だから、「おる」の未然形「おら」に「れる」を付加すれば、動作を高める言葉として成り立つわけです。“木竹語”にはなりません。 「……していらっしゃる」というほどでもない場面で、「……しておられる」という言い方は、敬いの度合いとしても適当なものでしょう。 ○……していらっしゃる ○……しておられる