銅賞
『 あたり前のにおい 』
吉田 まんじ 42歳 会社員 東京都
「今日は来てくれてありがとう」
客を送り出した私は、電車の時間を気にした。
田舎の両親に預けた娘と会うのは3ヶ月に一度。このサイクルが6年続いている。
年金暮らしの両親には事業の失敗で抱えた借金がある。年金をそっくり返済に充(あ)てているので、生活はわたしが支える。今稼げる私が稼ぐ。代わりに両親が娘の面倒をみる。いつのまにかそれが我が家の役割になっている。
「ママ、運動会2位だったよ」
3ヶ月ぶりに会った娘は嬉しそうに報告する。
「すごいね。きっともうママより速いね」
そう笑顔で返しながら、心苦しさで胸がいっぱいになった。
ごめんね、本当は見てほしかったよね。
娘が私に会うことを待ち遠しく指折り数えているのは知っている。店が忙しいから、ママはきっと出席できないから、遠足も、授業参観も来てほしいのに、ぜんぶ我慢させてしまっているのだ……まだ8歳なのに。
子供のために店やめたら? と言えるのは経済的にも心にも余裕のある人々だと思う。そんなの私は毎日葛藤(かっとう)している。
「ママ、絵本読んで」
今日は寝息が聞こえるまで読んであげよう。
背中もとんとんしながら赤ちゃんのように。
「スースースー」
あらあら半分も読み終わらないのに、天使の寝顔。幸せを感じる時間。そうだ、私はこの寝顔のために頑張れる。
朝。もう、朝。昼には出発しないといけない。そういえば起きてから娘が見当たらない。どうしたのだろうと、なんとなく2階の布団の部屋に戻ってみた。
そこには私がついさっきまで寝ていた布団に潜り込んでいる娘がいた。恥ずかしそうに顔をちょこんと出す。普段の娘を見た気がした。ママのにおいだけで数ヶ月耐えている姿を。普通の環境ならあたり前のにおいなのに……。わたしは宝物を強く抱きしめた。