2015年
第20回入賞作品
佳作
真っ白な輝き
田中 僚(24歳 会社員)
大学1年生の4月、賑やかなキャンパスを歩いていると、アメフト部から勧誘を受けた。「君の身体なら、間違いなくスターになれる!」「可愛いマネジャー候補もたくさんいるよ」。上級生の勧誘文句に根負けし、後日見学会に参加した。私のほかに、同じように見学会に参加していた新入生は10人程度いた。その中に、ひときわ訛りの強い新入生がいた。仙台からの上京組だった私は、地方の香り漂う彼に興味が沸いた。話しかけると、福島県の会津出身だと教えてくれた。同じ東北出身ということで、すぐに打ち解けた。彼は高校時代から、大学生活をアメフトに捧げることを決めていたという。初めて見るアメフトは迫力があった。隣で彼が解説してくれたおかげで、何となく楽しさも理解できた。これといった目当てのサークルがなかった私は、あっさりと入部を決めた。
住まいが同じ京王線沿いだったこともあり、彼とは毎日のように一緒に帰った。彼の実家は農家を営んでいて、田植えの苦労話や、おいしいお米の研ぎ方など、色々な話を聞かせてくれた。大学から始めたアメフトは不慣れで、精神的にも肉体的にもしんどかったが、故郷に戻ったような温かさのある彼との時間に救われた。いつからかは覚えていないが、各駅停車で帰ることが2人の決まりになっていた。
夏場を超えるころには、2人ともアメフトにどっぷり漬かっていた。その頃から彼はよく、「俺はいつか、このチームのキャプテンになりたい」と口に出すようになった。練習にひたむきに取り組み、人望も厚い彼なら適任だと思った。「じゃあ、俺が副キャプテンになるよ」。調子良く答えて、2人で笑った。「いつか2人で、関東一のチームを作る」。そんな約束をした。
大学2年の春休み、東日本大震災が起きた。幸運なことに互いの実家は無事だったものの、彼の実家は、「風評被害」という大きな打撃を受け続けることとなった。「数日間だけ」と言い残して、彼は実家に戻った。一日たりとも練習を休んだことのなかった彼が、その日から1か月以上、練習に顔を出さなくなった。
彼が東京に戻ってきた5月のある日、彼は部員に退部の旨を打ち明けた。風評被害で、農家のお米は、向こう数十年は売れる見込みが立たないという。国からのわずかの援助では、学費どころか、兄弟を含めた五人家族の生活すら間々ならない。奨学金に加え、毎日のようにアルバイトをすることが、大学生活を送る最低限の条件だと彼は話した。「みんなともっとアメフトがしたかったです」と話す彼は泣いていた。初めて見た涙だった。
6月のオフを利用して、同期の皆で彼の実家を訪れた。無理を言って、田植え機ではなく、手作業で苗を植えさせてもらった。不恰好な稲の列が、私たちにできる精一杯のことだった。私は、新チームのキャプテンに立候補するつもりだと、彼に伝えた。
12月、迎えた関東大会決勝戦。3点差で、関東一には届かなかった。「お疲れさま。最高にかっこよかったよ、キャプテン」。試合後、応援に駆けつけてくれた彼が言った。本当ならば、彼がキャプテンになるはずだった。本当ならば、2人で一緒に、関東一のチームにするはずだった。彼はどのような思いで、自分が立てなかったグラウンドに声援を送ったのだろうか。
あれから数年経ち、今では互いに社会人になった。彼は実家の福島で市役所に勤める傍ら、兼業農家として、家族とともに米作りに精を出している。今でも数か月に一度、彼の実家からお米が届く。炊き上がるお米の真っ白な輝きに、励まされる毎日だ。