午前七時十二分発
作者:ひぃ
朝七時十二分発のバスに揺られて三十分。
僕の一日の生活の中で一番幸せな時間だ。
この時間を過ぎると僕の一日は、何の面白みのない平凡な一日になる。
それはまるで、毎日全く味のしない料理を淡々と食べているようだ。
美味しいのか不味いのか感じない。ただ単に『食べる』という行為を行うだけ。
そんな味気ない僕の人生に、彼女は『美味しい』という感覚を教えてくれた。
今日も彼女を一目見ようと、僕はあのバスに乗る。
……あ、いた。
彼女はいつも、一番後ろの向かって左側の席に座っている。
何度も見かけているが、他の席に座ったところを見たことがない。だから僕も決まって一番後ろの右側の席に座る。
彼女と話をしてみたい。
そんな願いを叶えることなんて、未だに彼女の顔を真正面から見たことがない僕には到底無理な話だ。
こんな小心者の僕は彼女の横顔を、読んでいる文庫本の間からちらっと見ることしか出来ない。当然、そのときの僕に本の内容なんてこれっぽっちも入っていない。
彼女の横顔しか分からないが、僕が見る限り彼女は美人だ……と思う。
鼻筋は通っていて遠くからでも分かるくらい、まつげは長く細い。髪も染め上げた造りものの色じゃなく、自然な栗色。肩を越す長さで彼女が俯くと、髪のカーテンが彼女の顔を隠してしまう。その度に細く白い指が長い髪を耳に掛ける。
おそらく彼女は気付いていないだろう。自然と彼女から零れ落ちる清楚な甘い空気が、僕の中に眠る獣を呼び起こしていることを。
彼女と話をしてみたい。