【日语共读】《心》夏目漱石(10)

【日语共读】《心》夏目漱石(10)

2018-07-13    06'06''

主播: 日语主播

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介绍:
BGM:広橋真紀子 - いのちの名前 二人が帰るとき歩きながらの沈黙が一丁(ちょう)も二丁もつづいた。その後(あと)で突然先生が口を利(き)き出した。 我们回去时,默默的一条街接着一条街的走着。后来先生突然开了口: 「悪い事をした。怒って出たから妻(さい)はさぞ心配をしているだろう。考えると女は可哀(かわい)そうなものですね。私(わたくし)の妻などは私より外(ほか)にまるで頼りにするものがないんだから」 “我做了件蠢事。我生气出来,她一定放心不下。想来女人真是可怜,除我之外,她也没什么可以信赖的人了。” 先生の言葉はちょっとそこで途切(とぎ)れたが、別に私の返事を期待する様子もなく、すぐその続きへ移って行った。 先生说到这里稍微停顿了一下,似乎并不特别期待我的回答,就马上接下去说: 「そういうと、夫の方はいかにも心丈夫のようで少し滑稽(こっけい)だが。君、私は君の眼にどう映りますかね。強い人に見えますか、弱い人に見えますか」 “这样说起来,我好像还心安理得,真是可笑。你,你是怎样看我的,我是强者还是弱者?” 「中位(ちゅうぐらい)に見えます」と私は答えた。この答えは先生にとって少し案外らしかった。先生はまた口を閉じて、無言で歩き出した。 “像是两者之间。”我答道。这个回答先生有些意外,他又闭上口默默的走起来。 先生の宅(うち)へ帰るには私の下宿のつい傍(そば)を通るのが順路であった。私はそこまで来て、曲り角で分れるのが先生に済まないような気がした。「ついでにお宅(たく)の前までお伴(とも)しましょうか」といった。先生は忽(たちま)ち手で私を遮(さえぎ)った。 先生回家要在我的宿处附近路过,是顺路。走到那里,在路口分手时,我似乎觉得过意不去,就说:“顺便做伴,陪您到家吧。”先生马上伸手拦住我。 「もう遅いから早く帰りたまえ。私も早く帰ってやるんだから、妻君(さいくん)のために」 “已经很晚了,快点回去吧。我也得赶紧回家,为了我的妻。” 先生が最後に付け加えた「妻君のために」という言葉は妙にその時の私の心を暖かにした。私はその言葉のために、帰ってから安心して寝る事ができた。私はその後(ご)も長い間この「妻君のために」という言葉を忘れなかった。 最后先生加上句“为了我的妻”。这句话异常的温暖了我的心。因为这句话,我回来后才能安然入睡。以后很长时间,我都未能忘记“为了我的妻”这句话。 先生と奥さんの間に起った波瀾(はらん)が、大したものでない事はこれでも解(わか)った。それがまた滅多(めった)に起る現象でなかった事も、その後絶えず出入(でい)りをして来た私にはほぼ推察ができた。それどころか先生はある時こんな感想すら私に洩(も)らした。 因此,我也知道了先生和夫人之间发生的风波,并不是什么大不了的事。以后不断出入,我大致也推察到了这种现象也是很少发生的。而且,有一回先生竟连这样的额感觉都吐露给我了。 「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。妻(さい)以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対(いっつい)であるべきはずです」 他说;“世上的女人,我只认识我的妻。除了她,其他的女子都不会使我动心的。妻也觉得我是天下唯一的男人。从某种意义上说,我们应该是生来最幸福地一对。” 私は今前後の行(ゆ)き掛(がか)りを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか、判然(はっきり)いう事ができない。けれども先生の態度の真面目(まじめ)であったのと、調子の沈んでいたのとは、いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。私にはそれだけが不審であった。ことにそこへ一種の力を入れた先生の語気が不審であった。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、それほど幸福でないのだろうか。私は心の中(うち)で疑(うたぐ)らざるを得なかった。けれどもその疑いは一時限りどこかへ葬(ほうむ)られてしまった。 现在我已经忘记了前后经过,所以也说不清先生为什么把这样的自白告诉我。但是先生认真的神色和深沉的语调,至今还留在我的记忆中。当时,奇怪的回响在我耳中的是最后一句话,“应该是生来最信服的一对。”先生为什么不肯定的说是幸福的人,却说是应该呢?这一点引起了我的疑问。特别令我不解的是,先生在这里加重的语气。我不能不想到她实际上是否真的幸福,还是应该幸福儿不那么幸福。但是,这种疑惑只是一闪而过。 私はそのうち先生の留守に行って、奥さんと二人差向(さしむか)いで話をする機会に出合った。先生はその日横浜(よこはま)を出帆(しゅっぱん)する汽船に乗って外国へ行くべき友人を新橋(しんばし)へ送りに行って留守であった。横浜から船に乗る人が、朝八時半の汽車で新橋を立つのはその頃(ころ)の習慣であった。私はある書物について先生に話してもらう必要があったので、あらかじめ先生の承諾を得た通り、約束の九時に訪問した。先生の新橋行きは前日わざわざ告別に来た友人に対する礼義(れいぎ)としてその日突然起った出来事であった。先生はすぐ帰るから留守でも私に待っているようにといい残して行った。それで私は座敷へ上がって、先生を待つ間、奥さんと話をした。 过了不久,我去看先生,他不在家,便遇到了直接痛夫人谈话的机会。那天,先生到新桥去为从横滨乘船出国的朋友送行。那时一般在横滨乘船的人,大都是坐早上八点半的火车离开新桥的。我同先生说过需要一些书,按照他的意思,事先约定就点钟到。先生去新桥对前天特意来辞行的朋友还礼,是那天突然决定的。他临走时留下话说,马上就回来,要我等他。于是,我在客厅等侯先生的时候,便同夫人攀谈起来。