多语 ✿ 聆听富士山---如果

多语 ✿ 聆听富士山---如果

2016-05-19    08'48''

主播: 1249593

56 1

介绍:
原文 《もし》 もし、この道を選んでなかったら、どうなってただろう...って考えることはある。この仕事をしてなくても、大学には行かなかったと思うよ。高校を卒業したら、たぶん、働き始めてた。洋服をつくってたか、あるいは動物関係の仕事か...。興味のあることは、いっぱいあったからね。子どものころから、早く働きたいと思ってたし。   なんで、今までこの仕事続けられたんだろう...って考えることもある。理由は、たぶん、そのときどきで、すごく印象的な出会いがあったから。   高校生のときは舞台『盲導犬』。卒業してからはドラマ『あすなろ白書』。このふたつは、自分にとって、すごくでかかった。でも、それは、あとで振り返ったから言えるんであって、もちろんその当時は、それが自分の人生にでかい影響を持つなんて意識は、全然なかった。今もそうだけど、仕事をしてるときは、いつも、自分がやってるものを少しでもおもしろくしたいと思っているだけ。それ以上でもそれ以下でもない。 『あすなろ白書』のときは、俺、まだほんとにただの若造だった。メガネかけて、マジメな取手くんを演じながら、撮影が終わってから遊びに行くのが楽しくてしょうがなかった。どっちかといえば、仕事より、そっちのほうに夢中だったかもしれない。 『あすなろ白書』以降も、新しい仕事をするたびに、いろんな経験をした。 「ああ、演技をするって、こういう気持ちになるもんなんだ」とか、「ドラマの現場って、いろんな人にちがこんなに一生懸命になってるんだ」とか、ひとつひとつ発見していった。   それでどんどん興味がわいてきて、いつの間にか、ここまで歩いてきた。だから、「俺、こういう仕事ずっとやっていくんだな」って、はっきり決意したきっかけは、意外だと、自分の中からわいてきたものじゃない。それより、周りの人だったり、世の中だったり...、今思えば、そういうものに背中を押されたっていうのが大きかった。   洋服づくりも動物関係の仕事も、いつの間にか意識の中からなくなって、職業にはしなかったけど、後悔はまったくしてない。それは、やっぱり誰のせいでもない、最終的には自分で選んだことだから。 ほかにも、やりたくてもできなかったことは、もちろんたくさんある。でも、「もし、あのとき、ああしていればできたかもしれない...」って、くやしく思うことはないんだ。だって、ほとんどのことは、その気になれば、今からだってできるもん。自分が心からやりたいことを、どれだけ自分の中に持ち続けられるか...。思い続ける期間も必要なんだよ。今は何か障害があったり、都合がつかなくて実現できなくても、あきらめないし、焦らない。そして、「いつか、もっと大きな形で現実してみせる」って思うんだ。思い続けてさえいれば、いつか時機がきて、実現できることも、きっとあるって。 “もし”っていう言葉、俺、未来には使いたくない。“もし、将来こんなことが起こったら...”って考えかたは、あんまり好きじゃないんだ。見えないものを、無理に見ようとしてるみたいな感じがする。それより現実を見たほうがいい。今、自分がいる場所から見えるものを、遠くまでしっかり見る力をつけるほうが先だと思う。これが案外難しくて、渦中にいると、見えないくなるものってあるんだよね。視力だったら、俺、4.0あるんじゃないかって思うくらい自信あるんだけど...。 そして、自分の場所を見極めて、いったん行動を起こしたら、もう「もし...」なんてことは考えない。「攻め」あるのみ。もちろんハンパじゃないくらい怖さもあるけど、とにかく前には進んでいきたい。俺、自分でも、受け身にまわったらダメだと思ってるからさ。ほんとは、無理してまで、前に進む必要なんてないのかもしれない。でも、そうしてでも進んでいくほうが、なんだか俺には合ってる気がするんだ。 译文 《如果》 有时我也想过,“如果,没有选择这条路的话,现在会是怎么样呢?”即使不做这个工作,我想我也不会去上大学。高中毕业后,也许就会开始工作了吧。制作西服,或者是和动物有关的工作……。因为感兴趣的事情有很多,从小时候开始,便想着早点工作。 我也考虑过,“为什么这个工作能持续到现在呢?”究其原因,大概,是因为那偶尔出现的,让人印象深刻的际遇吧。 高中生的时期是舞台《盲导犬》。毕业之后是电视剧《爱情白皮书》。这两个作品对我来说,有着非常重要的地位。但,那是之后再回顾来看,才能道出的话,当然那个时候,我根本没有意识到,那对我的人生具有如此巨大的影响力。如今也是那样,工作的时候,只是总想着让自己做的事情变得富有趣味,哪怕只有微小的一点也好。其他的事情想都不会想。 在拍摄《爱情白皮书》时,我,真的还只是个普通的黄毛小子罢了。虽演着戴着眼镜,一本正经的取手君,然而录影结束后就会去玩,还玩得甚为开心。非要说的话,比起工作,也许还是热衷于玩了。 《爱情白皮书》之后,每次在进行新工作时,都产生了许多不同的经验。像“啊,所谓演技,便是这种感觉啊。”、“拍摄现场,形形色色的人正如此拼命地努力着啊。”之类的发现,在工作中逐渐产生。 如此一来,慢慢地激起了我的兴趣,不知不觉中,已一步一步地走到了现在。所以,让我明确地做出“我,要把这个工作做下去!”这个决定的契机,出乎意料,并不是我自己产生的。与其说是,周围人和这个社会......现在看来,在背后推着我向前的最大动力正是这些。 制作西服也好,和动物有关的工作也好,不知不觉就从我的想法中消失了。虽然没有从事过,但完全不后悔。到底,无法归咎任何人,是我自己选择的罢了。 同样,即使想做却做不到的事情,当然有很多。但是,我没有“如果,当时,那样做的话也许就做得到了……”这样让人懊恼感觉。因为,大多数事情,想要做的话,现在开始也可以。自己由心而发想要去做的事情,有多少自己坚持做下去了呢......坚持想法的时间也是必需的。无论现在有什么阻碍,因错误的时机实现不了,也不会放弃,不会急躁。然后想着“总有一天,要以更加强大的姿态来实现给别人看!”。坚持这个想法的话,等机会来临,必然有可实现的东西。 “如果”这个词,以后我不想用。“如果,将来发生了这样的事的话……”这样的思考方法我不是很喜欢。明明是看不到的东西,却想法设法一定要去看的感觉。比起那样,看着现实岂不是更好。现在,我觉得,掌握看清自己所在空间的能力,和清楚地看到远处的能力相比是首要的。但这出乎意料的难,当自己被陷入漩涡中时,很多原本看得见的东西也看不见了。说视力的话,我,虽然有着“是4.0”那样想的信心...... 然后,看清自己所在的位置,一旦行动了的话,就不要再想“如果”了。只要“进攻”。虽然肯定有着不同寻常的恐惧,不管怎样也想要向前努力进发。我,即使我自己,也认为在原地转圈是不可取的。实际上,在不得不勉强自己去做之前,也许并没有必要向前努力。 但是,即使那样也要前进,好像才和我相称。