ふたつのお弁当箱
高校生の時、私は毎日母にお弁当を作ってもらっていた。家族の中で一番早く起きて、家族の朝食と私のお弁当を毎日作るという事は、今思えば大変な作業であったに違いない。それを文句のひとつも言わず、毎日作り続けてくれた母には頭の下がる思いである。
お弁当の中身は鮭や卵焼きなどが定番であるが、テレビ番組などでこの食材が健康にいいという情報を仕入れると、すぐさまその食材を使ったおかずが仲間入りし、次の健康にいいとされる食材がテレビ番組で紹介されるまで連日おかずの一員として加わるのであった。だから今何が健康にいいと言われているのかは、テレビ番組を見なくても母の作ったお弁当を見れば、大体察しがついた。
毎日作っていても失敗することもあるようで、卵焼きの味が濃かったり、ご飯の水加減に失敗したりした時には、「今日の卵焼きはしょっぱいかも」とか「今日のご飯は固いかも」など私がお昼の時間になる頃を見計らって、私の携帯にそんなメールが送られてきたりもした。
またけんかをした時には、お弁当のふたを開けるのに少し勇気が必要だった。そういう時には必ず私の苦手なものが入っていたからだ。しかし、そんな時の私も意地があるため「何が何でも食べてやる。食べられないなんて弱みを見せてたまるものか」の精神のもときれいに完食してみせるのだった。そのおかげで苦手なものはほとんど無くなり、今となっては母に感謝している。
試験や体育祭などの特別な行事のある時には、私の大好物が総動員された。午前中の試験や競技の結果がうまくいかなくても、そのお弁当を食べると午後も頑張ろうと気分を一新する事が出来た。
高校を卒業してから数年が経ち、ある時台所の片付けをしていると、私が高校生の時に使っていたお弁当箱と、色の違う同じ形のお弁当箱が出て来た。なぜ二つの色違いのお弁当箱があるのだろうと不思議に思い、母に聞いてみると、その二つのお弁当箱を懐かしそうに手に取り、
「実はね、あなたのお弁当を作る時、お母さんの分も時々一緒に作っていたの」
なんと母は私のお弁当を作る時に、同じお弁当を自分用としても作っていたのだ。そして母はお昼時になるとそのお弁当を食べ、お弁当の出来映えについてメールしてきたのである。
その話を聞いた時には母は面白い事をしていたんだなくらいにしか考えていなかったが今思えば母なりの娘との交流だったのかもしれない。当時帰りも遅く話す機会の少なかった私がどんな気持ちでお弁当を食べているのか。自分も同じお弁当を食べれば少しでも娘の気持ちが分かるのではないか。そんな母なりの気持ちがあったのかもしれない。
今度は私がこのお弁当箱に二人分のお弁当を作ってみよう。母はどんな顔をするだろう。