第一章事件(一)原文
足が、痛い。
浦上尚也は爪先から踵に重心を移し始めた。踵に最後部で全身の体重を支えたところで、また徐々に体の重みを足先へと戻していく。長いコンビニエンスストアのバイト生活で学んだ知恵だ。何度か繰り返すと、少し楽になった。
正面の壁に掛かっている時計に目をやる。夜九時三十二分。
このところ、客足が鈍くなっていた。店のオーナーは、年も押し詰まった十二月だもの、しょうがないよねえと言うが、実際のところは三百メートルほど離れた住宅地の真ん中に別のチェーン店が出店したためだ、と尚也は思っている。
今日も“Q&R”店内に客の姿はまばらだった。水商売風の女が一人、マガジンラックに寄り掛かるようにしてファッション誌を眺めているだけだ。
尚也は目をつぶって、ゆっくりと百まで数えた。目を開ける。女の姿勢は変わっていない。
デジタル時計の表示は一分進んだだけだった。
(あと二時間二十七分)
朝からついていない一日だった。目覚まし時計が壊れていて学校に遅刻した。そういう日に限って担任の機嫌が悪く、出席簿で頭を殴られたあげく二限の授業が終わるまで立たされた。
午後は午後で、サッカーのはずだった授業が体育教師の気まぐれでマラソンに変更された。四十五分まるまる走らされたあげく、バイト先のコンビニまでやっとの思いでたどり着けば、待っていたのはオーナーの泣き顔だった。夜中のシフトに就くはずだった大学生が急に熱を出して倒れちゃってさあ、とオーナーは言った。
「頼むよ、尚也、今日だけ、今日だけ遅番のレジやってくんないかな」
「無理っすよ、オレ、高校生なんだから」
「わかりゃしないって。な、頼むよ、この通り」オーナーが片手拝みに頭を下げた。「もちろん、バイト料は上乗せするからさ。何とかしてよ、頼むからさあ」
いつもなら、夕方の五時から九時までが尚也のシフトだった。そこから、深夜十二時までの通しとなると、さらに三時間の延長ということになる。確かに辛いが、時給のアップは尚也にとって魅力だった。
もともとノートパソコンが欲しくて始めたバイトだ。目標額まであとあずかとなっている今、三千三百円の現金は尚也にとって切実な問題だった。
「じゃあ、やるけど」尚也は答えた。「でも、ちゃんと金くださいよ」
わかってるって、とオーナーが顔に似合わないウインクをした。それから四時間半が経っている。酷使した足が、もういい加減にしてくれよ、と不平を漏らすのも無理はない。休憩したかったが、店番は尚也一人だけだった。十二時までは誰も来ない。